2013年7月16日火曜日

静かな爆弾を読みました。

静かな爆弾 (吉田修一 著、2008.2発行)を読みました。

何か小説を読もうと思って図書館で手にとったのがこの本。特に吉田修一の作品に決めていたわけではなかったのだけど、2ヶ月ほど前にも、この作家の本を読んでいました。

サブの仕事でもあるタリバンの大仏爆破のようなドキュメンタリー番組作りのためのインタビューや情報収集に忙しい主人公が、公園で出会った耳の不自由な響子と付き合う過程や、仕事のなかでなんとなく感じる見えている世界の違いのような、なんか引っかかるような思いが感じられる作品でした。

言葉が通じないことにより起きるふとした思いがけない状況や、言葉にしてしまうところを飲み込むことで生じる微妙な距離感というか空白感。武装国家?が、なぜ世界的な遺産を爆発することになってしまったかなどもからめて、いろいろと、判らないことや漠然とした不安感を感じながら、そんなひどいことにならないと根拠なく思ってしまいながら、すれ違いや、思わぬことになってしまう様子。
相手を傷つけないように注意している言葉が、結局その気遣いを含めた状況が傷をつけてしまう場合など、人それぞれ状況によって考えや物事の受け取り方が異なるのに、つい同じように思ったり勝手にこうではないかと推測してしまっていて、それが正しいとは限らないのに正しいと思ってしまうような、だれも悪くはないのだけど、結果として、なんか気まずくなることがあったりする、人間関係にある微妙な距離感を改めて考えました。

   

2013年7月14日日曜日

アート・ヒステリーを読みました。

アート・ヒステリー ---なんでもかんでもアートな国・ニッポン (大野左紀子 著、2012.9発行)を読みました。

先日読んだ、アーティスト症候群―アートと職人、クリエイターと芸能人 の著者の最近(といっても1年くらい前)の著作。前作が歯に衣を着せぬ容赦なさが爽快だったので、読んでみることにしました。

アートっていうとなんか自由で個性的でカッコイイみたいなイメージで、さまざまなものがアート呼ばれたり自称している一方で、アートって良くわからないという声も多い。
そのような声に、アートの見方を解説するのではなく、少し距離を置いて、アートの成立や市場、社会との関係を含めたアートが置かれている状況、日本でのアート教育の変遷と現状など、アートを取り巻く環境や社会的位置、教育も含めた認知状況などが書かれています。

語り口は平易でありながら、前作と同様批判するところは厳しく批判していますが、本作は前回より構成がしっかりした評論本の趣。

アートは自由にみて好きなように感じればいいなどと言われたりするけど、背景や歴史を踏まえて、自分の中あるいは社会の中にある価値観を揺さぶるものなので、背景に関する知識の有無はアートを楽しむのに必要だし、自由に見るという見方も歴史的背景を踏まえて今日隆盛しているのだと思いました。
アートも民主主義や資本主義、商業主義から逃れて存在するものではない状況は、個性重視といいながら、個性そのものも我侭と差異がなくなってきたりする現在の社会的状況に通じるものがあるのかなど、アートと個性、自由、といったことを考えました。

   

2013年7月6日土曜日

統計学が最強の学問である を読みました。

統計学が最強の学問である (西内 啓 著、2013.1発行)を読みました。

統計学が巷で話題な中、一般向け統計学の本ということで書店でも平積みされて良くみかけるので、どんなものかよんでみることにしました。

タイトルからして、なかなか強気な本です。
計測値などの観測結果を処理し、その意味や傾向を分析し、さらには意図することを実現するにはどのようにするのが効果的かということを統計的に導くことで、数少ない経験や勘に頼るよりも、良い結論を導く確率は高まり、説得力も持つというのが、統計学の実際に強力な面。
ITや計算機技術の発展により、これまで以上に大規模なデータをすばやく処理できるようになり、ビッグデータの活用といった話を良く聞くようになっている今、統計学は非常に重要であるのは確かなような気もします。

ただ、本書でも述べられていますが、大量のデータから特徴を抽出したりしても、そこから目的を果たすためにどうすればよいかが最終的に重要で、必ずしもビッグデータである必要もないし、サンプリングの条件や変数の間の相関などを注意しなくては、誤った結論を導きだしてしまうこともある。
だからこそ、計測値やそれらから導かれる推定値の精度、さまざまな制約下でより良い結論をより早く導く統計学の正しい理解が重要。

データ分析に必要となる統計的内容は一通り書かれ、サンプルのランダム化や変数の独立性が十分でないと、得られた数値から誤った結論を導くことになってしまう場合についても説明されていて、結果はその取得のしかたや精度について、慎重に読み解く必要があることも含めて、統計でこんなことができるのかとか、このような分析をするのかといったことがわかる本だと思います。

一般向けの本なので、統計学のエッセンスについても、極力イメージがつかめるように書かれています。それでも、理系大学を出ていたり、文系分野でも統計を一度は学んだりしたことがなければ、理解は少し難しいのではないかと思いました。

実際に統計分析をしたいと思えば、いまではツールもいろいろ出ていて、データを入れれば何かしら答えが出てしまい、新たな知見を得た気がしてしまいがちなことが多いと思います。
統計的にデータを分析するときの制約からくる注意点について、もっと例を増やしたり冗長になっても説明を繰り返してあれば、さらに良かったように思いました。

                

2013年7月5日金曜日

アーティスト症候群

アーティスト症候群―アートと職人、クリエイターと芸能人 (大野左紀子、2008.2発行)を読みました。
巷に自称アーティストが溢れている状況に対し、以前は自分も(美術作品を作る人としての)アーティストであった著者が、アーティストという言葉をこうも聴くようになった背景や、なぜアーティストと名乗るのか、そう名乗っているのはどういう人かについて書かれています。

もう、5年以上前の本で、多くの人がアーティストって響きに憧れ流行っていたころほど、アーティスト=なんか箔があってかっこいいイメージ、とは言い切れなくなってしまっているものの、本書のなかでも触れられているクリエイターという言葉など、多少形を変えながらも、自由に好きなことをしながらも一目置かれるような雰囲気を持つ用語を、多くの人が便利に使い、さまざまな横文字職業が増えている今の様子は、自分を差別化し認められようとアーティストが多用されるようになったのと変わらないように思います。

他から認められたい、他とは違って格好いいとか、偉いとかって思われたいけど、そうそう他より抜き出るのは難しく、アーティストといってしまえば、よくわからないけど凄そう、みたいな感じになる、そんな状況を的確にとらえ、背景を分析しています。
また、芸能人のアーティストに対しても容赦なく、そこまでいっていいの?という感じの皮肉まじりの論評がされています。

アーティストおよびアートという言葉が使われている様子についての、芸術家でもあった著者自身の考えからの論評ともいえますが、著者自身のアーティストになるまでやなってから、予備校講師のときの体験、そしてアーティストをやめた理由もかかれ、美術大学を目指す学生の様子や予備校業界の裏話的要素もあり、楽しく読めました。