2008年10月30日木曜日

大琳派展を観に行ってきた

東京国立博物館で、11/16まで開かれている、尾形光琳生誕350周年記念 特別展「大淋派ー継承と変奏ー」を観に行ってきた。

9時半の開館時間に合わせて観に行ったのだけど、既に開館前から並んでいる人が結構いて、最初の部屋はかなりの人だったので、順番を無視して、先の方からみて、見終わってから戻ったらさらに人が増えていて、平日でもこんなに混むのかと驚いた。

展示内容は、琳派の代表といえる、本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、尾形乾山、酒井抱一、鈴木其一、を中心に、楽茶碗や蒔絵すずり箱などの工芸品から、障塀画、絵巻、書などが展示され、国宝や重要文化財もちらほら見られたり、外国の美術館が持っているものなど、おそらくかなり優れた作品といえるものが展示されていて、興味のある人には、非常に良い展示なのではないかと思う。
また、琳派は直接の師弟関係はなく、先行する作家を見本に継承していったそうで、同じ画題のものなども多く、今回の展示では、比較対照を行い、琳派の作家同士の関係などを見て行こうとする展示構成となっていた。

しかし、個人的には、やまと絵などの日本古来の絵については興味が薄く詳しくないので、同じ画題のものを比較してあるものは、直接的な違いはわかるものの、それぞれの作者の特徴とか、表現の違いなどはあまり良くわからなかった。
結局、有名な作品である、風神雷神図屏風や養源院の白象図杉戸絵、蒔絵硯箱、夏秋草図屏風などは印象に残ったものの、他は解説を読んだりしたものの、全体としては、印象に残る作品の少ない展覧会だった。

それでも、鶴下絵和歌巻や、酒井抱一の夏秋草図屏風など、先日、美術検定を受ける際に、知識を得たばかりの淋派の絵の本物を見ることができた点や、たらしこみの技法による木の枝の様子など、いままでは意識しなかった技法の効果を感じることが出来てよかった。俵屋宗達に始まり、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一の4人が描いた4つの風神雷神図屏風や、風神雷神図屏風の裏に、それを意識した図が描かれていたり、敬意など関係を示すものも多いことなどを知れてよかった。

また、西洋の絵画は印象派以前は、比較的見たままを自然に書く絵が多いのに対し、やまと絵?はひとつの画面構成のなかで、視点の位置がさまざまで、木との関係などからほぼ同じ位置にいるように見える鳥があるものは胸の方が見えていて、あるものは背中側の羽模様がみえているものや、他にも、視点の位置から考えるとありえそうにない配置や、花や葉がすべてこちらを向いているなど、自然に書くというより装飾的というか、見るものが強調できるというか、見たままではないイメージを描いている用に感じた。

しかし、金泥を多く使う色彩感覚が描かれる一方、水墨画のような白黒の画面構成があったり、日本古来の絵というのも、よく考えると奥が深いと思った。西洋美術史を基準に考えると、異端な感じになるが、本来どちらが正しいというものでもないので、西洋とは異なる美的感覚、虫や花や鳥は非常に細密に描かれていたりする一方で、他の部分は省略されて図案化されたような背景であったりする作風など、あまり興味を持たなかった日本画も美術検定の勉強などで得た知識や最近の展覧会で得た知識から、新たな見方が出来るようになって、興味深く感じる点もあったので良かった。

2008年10月27日月曜日

美術検定の参考図書

先日、美術検定を受けてきた。
どの程度の難しさかがよくわからなかったこともあって、とりあえず2級を受けてきた。

このところ、その関連の本を読んでいたので、特に感想というものでもないと思って、ブログを書かなかったけど、他に本を読んでなくて、しばらく投稿していなかったから、その関係の本の紹介や感想というか、検定に向けての読書状況です。

夏ごろ、美術検定の存在を知って、今年に入ってから、美術関連の展覧会を良く観に行ったり、本を読むようになったので、関連知識を深めようと思ってモチベーションを高めるのもあって、美術検定を受けることにした。美術検定公式テキスト 西洋・日本美術史の基本を8月半ばに買いながらも、広範囲の西洋美術史や日本美術史について、絵の様子も白黒で良くわからないし、作品や作家名、出来事などがただひたすら並んでいる感じで(テキストだから仕方ないかもしれないが、、、)面白そうではなかったので、そのままになっていて、先月には、美術検定過去問題集 2008―四択マークシートと、美術検定 1級・2級 美術実践キーワード88 改訂版を買ったものの、問題集は試験が近づいたらやろうと思ってそのままで、キーワードのほうを少し読んだけど、こちらはあまり面白そうでなかったので、直前に読めばいいと思ってそのままになっていた。

結局、ときどき、思い出しては、ぱらぱらめくりながらも、2週間くらい前になって、いい加減勉強しようと思って、読み始めたら、公式テキストのほうは、なんか前後関係もなく、いろいろな事項が羅列されているし、索引もなくて、わかりにくいため、前後関係や時代背景を補なおうと、カラー版 西洋美術史を別に買ったけど、こちらも、調べるには良いかもしれないけど、本としては面白いものではないので、相変わらずぱらぱら開いたりっていう感じだった。

さすがに1週間前になって、公式テキストを最後までとりあえず読んで、キーワードも読み、問題集をやってみたところ、全然出来なくて、あわてて、関連書籍にあげられている、ちょっと知りたい美術の常識 (アートクイズ ベーシック編) (アートクイズ ベーシック編)と、もっと知りたい美術の知識―アートクイズ ステップアップ編を読んだり、再度公式テキストや、カラー版西洋美術史を読んだりしながらも、どうも覚えきれないと思って、直前になって、アートクイズの2冊と以前読んで美術検定を受けようと思う機会となったこの絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門、それに過去問題集の4冊は大部分解けるようにして、あとは、覚えられる範囲で公式テキストの中身を覚えやすいようにカラー版西洋美術史で関連出来事を補いながら、覚えて試験に臨んだ。

2級の試験は選択式と穴埋め(複数の語彙からの選択)問題の2種類があった。
穴埋め式のほうはキーワード集を基準に、美術館のあり方など美術史以外の関連知識を問う問題だったけど、常識的な話にある程度美術の話題が加わった感じで8割がた出来たと思う。
しかし、選択式のほうは、今ひとつというか、感覚的には全然できなかった。
確かに、アートクイズや問題集にあった問題や同じような問題もあったけど、そんなのは少なく、参考書籍にも載っていなかったよううに思われる問題も多く、選択肢を絞れるようなのはまだ良く、絞りようもないくらいまったくわからないものも結構あった。

問題は持ち帰ることができ、
出来が悪かったとはいえ、選択式なので運がよければあたるものもあるから、どんなものか自己採点してみた。
テキストだけでは回答がわからないものも多く、Webなどで問題や回答にある出来事や作家について調べたものの、調べきれず、はっきりしないところもあるものの、きびし目に採点して、正答率60%といったところだった。
採点した結果を見ると、判らなかったところは確率的な正答率を若干下回っていて、2つまで絞れたところはその確率(50%)よりも大きく下回っていたため、ちょっと運がなかった。
合格率は、受験者全体の回答率によって変わるものの60~70%らしく、全体の回答率が例年より低かったら合格できるけど、少し厳しい感じ。

しかし、2級は思った以上に出来なかった(過去問題を初めてやったときにある程度予測はできたが、、、)ので、不合格だったとしたら、来年も受けて、今度は日本美術史も本を買って読み、もう少し関連知識も増やして、出来たと思えるくらいで合格したいと思う。

参考にした図書たち:

2008年10月17日金曜日

ピカソ展(新美術館のほう)を見てきた。

国立新美術館で、12/14まで行われている、「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」を見てきた。

近くのミッドタウンにあるサントリー美術館では「巨匠ピカソ 魂のポートレート」と題して、肖像画を中心に展示され、こちらでは、ピカソの作品の変遷が見られるように、様々な作品展示となっている。

ピカソ展というだけあって、作品保護のために、どの作品も近寄り過ぎないようにパイプが設置してあったり、警備も普段より厳しく、入り口ではかばんの中を確認していた。

展示内容は、青の時代の作品(1点のみだが)から、薄茶色っぽい乾いた感じの人物像や、形状を単純化し輪郭を強調した人物像などキュビズムにいたる初期の作品、まさにキュビズムといった頃の絵画や彫刻、鼻立ちがすっとしていてギリシャ風の顔と手足などむくむくした肉体が強調された感じの人物像、正面と側面などが錯綜する人物像や、さらには、目、口、耳などの配置までずらした人物像、シュールレアリズムの作品やヘンリームーアの彫刻のような体が伸びたり膨らんだ人物像など、ピカソの作品として、イメージされる様々なタイプの代表的ともいえる絵画や彫刻が集まっていた。
また、ゲルニカの製作過程が9枚の写真で展示されていて、描かれた順序や下書きと変わっている部分などがわかって興味深かった。

青の時代の作品は、今までもいくつかみた記憶はあるし、フランスやスペインのピカソ美術館でいろいろみた記憶はあるものの、あまり良く覚えていないというか印象に残っているものはなかったのだけど、今回展示された作品は静かでいて、なにかを訴えかけるような不思議な感じがして印象ぶかかった。
また、キュビズム作品好きの私としては、マンドリンを弾く男やサクレ=クレール寺院などは、みることが出来てよかったと思った。
他にも、1930年代頃のシュールレアリズム風の作品はなんとなく楽しい感じがして良かったし、後半のジャクリーヌの肖像画はなんか惹かれる作品だった。

とはいうものの、ピカソの絵は子供のいたずら書きみたいで、芸術的なのを冗句にするような絵として似た感じのものが使われたりするけど、実際そんな感じも受ける。
ものの本質を平面に表すために、単に見えるものだけでなく、様々な方向から見たもの組み合わせて表現させたところがすばらしいとかっていわれたりするわけで、そういう見方も確かにあると思う。
実際、物事の認識っていうのは脳内に得られた様々な経験や情報から構成されるわけだから、それを絵画に表現して、改めて認識させたとかって価値があるのかもしれない。
でも、やっぱり、そんなにすごいの?って感じはしてしまう。
ピカソの絵はいろいろなところや、画集などで多く目にしていることから、一部の作品はみることができて良かったと思うけど、多くの作品はあまり興味を惹かなかったというか、気に入った作品は展示の数の割りに少なかった。

最も、ピカソ展はいかがでしたかとかって、公式に聞かれたら(そんなことはないけど)、様々な種類の代表的な作品が展示されていて、ピカソの画風の変遷を俯瞰できるよい展示だったとかって答えてしまうのだろうけど、、、

最も私の好きなキュビズムにしたって、なにが書いてあるかわからないのにどこがいいのとか、抽象表現主義の作品にしたって、ただ一面にぼんやりした色があるだけで、どこがいいのとかいわれれば、物を分解して再構成していることや、ぼんやりした色に包まれることで感じる感覚や微妙な変化に精神性を感じるとか、評論家の言葉を借りることはできるものの、ようは、なんとなく好きっていうのにすぎないともいえるようにも思うが、、、、

そんなことを考えてしまう展覧会だった。(といいながら、サントリー美術館にも観に行ってしまうんだろうけど、、、)

2008年10月13日月曜日

スリランカ展と法隆寺宝物館

先日、東京国立博物館の表慶館で11/30日まで行われている、特別展「スリランカ−輝く島の美に出会う」を観に行ってきた。

東博では、この時期、平成館と表慶館で特別展を行っていて、平成館では大琳派展をやっていたけど、今回はスリランカ展と常設展だけをみてきた。

スリランカは「光輝く島」という意味を持つそうで、セレンディピティもスリランカの御伽話をもとに生まれたそう。(御伽話の内容は以前聞いた覚えがあるんだけど、どんな内容かは忘れてしまった)。2000年以上の歴史があって、一時期、ヒンズーが広まったものの、仏教色の濃い文化。
展示は、紀元前から後11世紀、11から16世紀、16から20世紀の3部構成になっていて、途中ヒンズーの影響で作られたシバやパールバーティ、ガネーシャの像なども展示されていた。
仏像や仏具以外にも、宝飾品や貨幣なども展示がされ、寺院の様子などが写真により紹介されていた。(スリランカ展のホームページにもう少し詳しく載ってます。)

仏像は、時代によって顔つきや衣の様子など様式の違いはあるものの、日本のものと比べると、太めの顔が特徴的だった。日本の飛鳥時代の仏像はわりと太めの顔だけど、スリランカの人は鼻が高いのか、太めな上に鼻や口がつきでた感じの顔立ちのものが多かった。
その顔立ちのせいか、日本の仏像はなんていうか、荘厳で癒される中にも厳しさがあるけど、スリランカの仏像は、もっと人間的で親しみやすく、やさしく癒される感じだと思った。
あと、象のようなガネーシャの乗物がネズミのようで、その組合せがなんか不思議に思った。

会場ではカレーや紅茶などのたべものから絵はがきやCDまで、スリランカ関連のグッズも販売していて、ヤシの花(だったと思う)のシロップという珍しいものも売っていた。

特別展を観た後、いつも時間がなかったり特別展などをみて疲れてしまったりで、観に行ったことのなかった、法隆寺宝物館によってきた。
こちらは常設展示で、1つの展示室は作品保護のため、期間限定で公開されるそうで、いったときはちょうど閉まっていたので見れなかったのが残念だったけど、観覧者が非常に少なくて落ち着いてみることができた。
特に数十体の仏像が設置されている部屋は、仏像自体は飛鳥時代の豪族が信仰していたものとされていて、すうじゅうcm程度の小さな菩薩像などが中心なんだけど、それらがケースに入って、1〜2m位の間隔で並んでいて、照明も作品保護のためだと思うけど暗めになっていて、なんともいえない、ちょっと不気味な感じもするくらい、荘厳というか不思議な空間となっていた。
特に監視の人がいるものの、ほとんど人がいないうえ、最近の建物で密閉性がよいからか、かすかに空調の音がきこえるものの、自分の耳鳴りでも聞こえてきそうなくらいの静けさで、無響室に入ったような感じだった。
入場者の少ない美術館やギャラリーも良くあるけど、大抵周囲の騒音がなにかしら入ってきて、ざわざわした音がするけど、ここは本当に静かで、ここまで静かなところに入ったのは、最近はなかったように思った。
仏像以外にも、染物や工芸品なども展示されていたけど、展示内容よりもその静けさが、なににもまして印象に残った。

2008年10月10日金曜日

Art of our time を見てきた

上野の森美術館で11/9まで行われている、「Art of our time」展を見てきた。

高松宮殿下記念世界文化賞の受賞者の作品を展示したもの。
この賞が創設されたのは、1988年で、バブルを謳歌してた頃で企業メセナとかも流行ってたし、国もこれからは文化振興だみたいな状況だったような気がする、、、、

エントランスには、大き目の赤と白の水玉模様の椅子のような塊が設置されていて、良くみなかったけど、草間弥生の彫刻ではないかと思う。(中で展示されていた水玉絵画と模様が同じ感じ)
中の展示は、入り口から、広めの通路沿いにバルテュス、デビッド・ホックニー、リチャード・ハミルトン、ロベルト・マッタときて、最初の広間でアントニ・タピエスにウィレム・デ・クーニング、ザオ・ウーキー、ピエール・スーラージュにアンゼルム・キーファーが展示され、さらに、ラウシェンバーグにエルズワース・ケリー、ゲルハルト・リヒターと続き、
以降も、ジャスパー・ジョーンズをはじめ、最近読んだ現代アート系の本に出てきた有名どころの作品が展示されいいるという、現代アート展でもなかなかみない豪勢な感じ。(単に良く聞く名前だからそういう印象を持ったのかも知れないけど、、、)

特に最初の広間の、大型の抽象表現主義というか、わけわからない大型絵画の展示は、個人的には好みなので感激ものだった。
この展示室の作品たちが印象深かった分、他の部屋も最近読んだ現代アート系の本に出てきた有名どころが展示されいたけど、ジョージ・シーガルやリー・ウー・ファンに草間弥生といった、私の興味を惹く作家の作品もあったが、他の展示室はあまり面白くなかった。
最も、私の趣味だし、特に彫刻はあまり感動しないので、彫刻好きな人はまた見方が違うと思うが、、、
それと、受賞者の作品展示なため、作家のほとんどは1点の展示だったのが少し残念。

とはいっても、私が持っているイメージというか、画集や本などで見たことのある作品のイメージに近いものが多く展示されていて、本物の大きさとか、平面とはいえ厚塗りの作品などは、その質感や、照明の反射などによる印象の違いも感じられてよかった。

あと、あまり作品として鑑賞したことなかったけど、三宅一生の一枚の布とボタンで造るドレスはなんか素敵だと思った。彫刻分野での受賞者となっていて、人型にドレスが着せられているものと、広げたものが展示され、どういう具合にできるのかと思ったけど、一枚の布がボタンで留められて人型に巻きつけられていく様子がCG映像で流されていて判りやすくてよかった。

併設されているギャラリーでは11/2まで、写真展「アトリエのアーティスト」として、受賞者を撮影した写真が展示されていて、作家の顔やアトリエ風景など、名前で知っていても顔や雰囲気を知らなかった作家の写真が見られて興味深かった。

2008年10月8日水曜日

カイマナヒラの家 を読んだ

池澤夏樹、写真・芝田満之カイマナヒラの家―Hawaiian Sketches(2001.3発行)を読んだ。

波乗りのためにハワイイに何度も行っていた主人公が、ハワイイで知り合ったサーファーが管理人を兼ねてすんでいる伝統ある家に泊まることになり過ごした日々のことが、同居するサーファーやその知り合いとの会話を中心に書かれている。

人が砂漠で消えてしまったり、先祖の霊がたたってリゾートホテルの工事がうまくいかない話など、ちょっと不思議な話も交えながらも、カイマナヒラの家で知りあった人たちが、その家にいることになった経緯や、知り合い通しの関係などといった、比較的ありふれた会話が自然な感じに交わされていて、軽やかな感じがした。
ところどころに挟まれた、真昼の青い海や、夕暮れの朱色の海、波に乗ってるサーファーや、ボードを持っているサーファーがシルエットに浮かんでいる様子などの写真とあいまって、海にむかって淡々と波乗りを繰り返すサーファーのような生き方へのあこがれのような、懐かしさのような感じを受けた。
特に、主人公たちの年齢が決して若くない年齢で、結婚で縛られた状況になりたくなくて、独身生活からぬけきれないでいる状況から、終わりの方では結婚して子供のいる環境になり、カイナマヒラの家も買い手がついてしまうところも、まだ、結婚して所帯じみて、日々の生活に追われたくないといった、青春というには年をとってしまいながらも、気持ち的には自由に生きたいと思う頃への哀愁のようなものを感じた。

2008年10月5日日曜日

ドリームタイム を読んだ

田口ランディ 著、ドリームタイム(2005.2発行)を読んだ。

先月は、小説を読まなかったので、なにか読もうかと思って、この本がなんとなく目に付いたので、読むことにした。

田口ランディさんの作品はアンテナとかモザイクとか富士山などは読んだことがあって、この世とあの世やら、生きることやら、人への気遣いから疲れて、怒りが自分や他人にむかったり、悩みや混乱のなかで模索するような、感じの作品が多かったと思う。
この本は13の短編からなっていて、やはり、日頃、人に気を使ったり、考え始めると大量の言葉で参ったりしてしまう作家である主人公に起きる出来ごとを中心に、人間の生死や神さまに関わるような、不思議なつながりというか体験のようなものについて、いろいろな考えや感じが錯綜する作品だと思う。
これまで読んだ田口さんの本からは、もっと、重いというか、どろどろした感じがする一方で、不思議なことをあっさりした感じでながすような感じが同居するような印象だったけど、この本は、あっさりした面が強いというか、淡々としているような、軽快な感じがした。決して軽い作品ではないのだけれど、、、、

2008年10月4日土曜日

暗黒宇宙で銀河が生まれる を読んだ

谷口義明著、暗黒宇宙で銀河が生まれる ハッブル&すばる望遠鏡が見た137億年宇宙の真実 (サイエンス・アイ新書 41)(2007.11発行)を読んだ。

裏表紙に、「この宇宙は暗黒物質(ダークマター)に支配されている!」と大文字でハイライトされていて、銀河の母体となる暗黒物質にフォーカスしつつ、この宇宙創生の壮大な物語をつづってみたいと思います。(裏表紙文書より抜粋)とあるので、宇宙の質量をを説明するのに暗黒物質の存在が必要というような話を以前聞いてたことがあって、その辺のことに興味あった。また、先日読んだ最新宇宙学が、研究者の今の研究内容をつづるもので、わかりにくかったこともあり、この本は新書で、ハッブル&すばる望遠鏡が見た・・・とあって、写真も多く面白そうだったので読んでみた。

内容は、第1章は暗黒の宇宙ということで、宇宙は暗いのか?ということを端緒に、星の光度や距離などの基本的な知識、天の川銀河の基本構成や、星団や星雲、他の銀河などについて解説されていて、第2章では暗黒宇宙の誕生ということで、銀河間の距離や宇宙の膨張、膨張が始まった初期ビッグバンの様子に、ビッグバンを起こすことになるインフレーション理論などが、望遠鏡による観測結果やアインシュタインの宇宙方程式や重力以外の力の統一理論などから得られてきた様子が解説され、第3章は銀河宇宙の誕生として、星やブラックホールに銀河の生成の様子について、ハッブルやすばる望遠鏡での観測結果などを交えて説明され、ダークマターが想定され始めた経緯から観測結果による分布の測定結果までが解説されている。

この宇宙は暗黒物質に支配されている!と裏表紙にある割りには、1章で、宇宙の質量における割合が出てきた以降、3章の最後の節で、観測結果を説明するために暗黒物質の仮定が必要なことや、暗黒物質としてはニュートラリーノという粒子が候補としてあがっていること、ダークマター観測結果など、この本の主眼といえる部分がようやくでてくる。
最も、基本的な話やそれまでの経緯を踏まえないと説明にならないのはしかたないと思うが、、、
しかし、宇宙の質量密度のうち、通常の元素が占める割合がわずか4%しかなく、暗黒物質が22%で暗黒エネルギーが74%だそうで、そんなに96%がよくわからないもので成り立っているとは知らなかった。また、インフレーション理論についても、名前を聞いたことはあったけど、ビッグバンとの関係など、概要が把握できてよかった。

暗黒エネルギーがなにかとか、質量密度割合などの数値は観測結果などから得られているんだろうけど、どのように得られているのかとか、他にもなぜそうなるか説明がなかったり、仮定と確定した事の区別がはっきり読み取れない部分があるのが少し気になったけど、わかりやすくするためには仕方ないようにも思った。

文章も、ところどころで、質問とその答えという形で、宇宙の構造が判っていくような形になっていたり、簡単な式で説明できるものは式を用いて論理的に説明されていて、多少複雑なものはコラムとして理解の助けになる知識や用語の解説がされたりしていて、技術的な内容の解説の深さと読みやすさのバランスがとられていて、宇宙の生成から誕生までのダイナミックな様相や、暗黒物質について判ったような気になれる本だと思った。

新書版で気楽に読め、かつ、最新の情報まで含めた、宇宙の成り立ちを知るための入門書として良い本だと思う。

2008年10月3日金曜日

脳の情報表現を見る を読んだ

櫻井芳雄著、 脳の情報表現を見る (学術選書 30 心の宇宙 6)(2008.2発行)を読んだ。

先日読んだ「脳科学のテーブル」と同じく、京都大学出版会の学術選書シリーズの1冊(こちらのほうが30番と発行は先だけど)で、先月初め頃読んだ「考える細胞ニューロン」と同じ著者の本。

内容は、「心が存在していることは間違いなく、それを脳が生み出していることも間違いないのであれば、心は脳の活動に表れているはずである。そして、心を作り上げている個々の感覚、記憶、観念、感情、意図などを現代風に「情報」と呼ぶならば、心とは脳が表している情報であり、私たちは現在それを見る手段をもっていないがために、心が見えないだけなのかもしれない。」(まえがきより)ことから、脳が表現している情報を捉えることで、自由な心を解明しようと、第1章から4章で、脳を構成するニューロンから脳が表現する情報を検出する実験方法や研究結果、情報表現手段としてのセル・アセンブリとその実験による検証など、脳の情報表現をさぐる研究についてかかれている。続く第5章では、情報を知ることにより人間の感覚・運動器官の機能の補償や拡張となるかもしれないブレインーマシン・インターフェースの研究状況がかかれ、以降の章では、情報表現を生み出す神経回路網の生成や常に行われている更新などをニューロンの変化から解説した話や、回路網の生成・組み換えと情報表現の関わりにより生じる個性、情報表現の混乱や再生に関する話題を生まれつき、あるいは、病気やけがにより脳が損傷した場合の障害や回復例などを交えて解説が行われている。

前回読んだ「考える細胞ニューロン」と重なる部分が多いが、こちらは、実験方法や結果の考察などがより詳しく説明されていて、実験の難しさや、実験方法による限界などがわかり、多くの結果が相関をとって検証していて、実験結果の必要十分性は得られているか不明で、Aである場合にBだったという結果に過ぎないのに、BとなるのはAによるみたいな感じに広まっている話が多いように思った。
また、ブレインマシンインターフェースについては、テレビや雑誌で見たことがあって興味があり、ラットの実験から始まって、実際に人でも実験が始まっている状況まで書かれていて、非常に興味深かった。
6章以降は、神経回路網の柔軟性などに関する話題だったので、前回の本のほうがむしろわかりやすく書いてあったと思う。機能が損傷しても回復した例については、こちらのほうがいろいろ挙げてあると思うが、、、

脳は非常に柔軟な変化する神経回路と言っていて、脳が損傷してもその部分の機能を他の部分が補償したりする例がある一方で、脳に損傷を起こしてから、ずっと記憶障害に悩まされる例などもあることから、柔軟という一方で損傷による影響の多い部分もあるように思った。
ただ、回復するのは運動機能のような例が多く、損傷の影響が残るのは記憶や正確などといった部分なようにも思えたので、さらに脳での情報表現が明確になれば、補償しやすいものとしにくいものとかもわかるのだろうと思う。
また、植物状態の人も意識はあって、それを表現する機能が失われていることもあることなど、脳の働きはまだ不明なところがたくさんある一方、理解するにはまだまだ、技術的にも難しいことがわかった。

実験の部分などで、解説が良くわからない部分もあったが、全体的にはわかりやすく、新しい知見も含めて書かれていて、脳の研究の難しさを知る一方、脳の複雑さや柔軟性などについて改めて考えさせられる本で、やはり脳は不思議で興味ぶかい。