2009年1月12日月曜日

光の指で触れよ を読んだ。

池澤夏樹著、光の指で触れよ(2008.1発行)を読んだ。

大きな電機会社で風力発電の専門家として働き、高校生の息子森介は離れた寮でくらしていて、小学校に入る前くらいの娘がいる林太郎。彼の不倫を知って、その妻アユミが娘をつれてヨーロッパに行ってしまい、互いに子供のことや、生活ひいては仕事や人生そのものについて、農業やパーマカルチャーなど、入ってくるお金で縛られるのではなく、もっと持続的な生活や精神性の高い生活を目指し始めるといった感じの内容。

最近の金融危機で、農業の重要性が、LOHAS的な意味からだけでなく、経済効果も含めて語られ始めていて、かなり流行りの様相を呈し始めていて、逆に将来うまく広がらなかったりして、反動がくるような感じもするけど、お金でいろいろなものを計ってしまいがちな世の中に対し、もっと、他にあわせるのではなく、個性を発揮しつつ互いを認め合えるような、やわらかいつながりのコミュニティー的な生活や、精神性を高めあえるような生活、何も与えず何も増やさず植物などの協調で、持続的に自給自足するパーマカルチャーなど、人昔流行ったニューエイジ的な考えが、かなり入った小説だと思う。

自給自足って、社会を信用しないでうちに引きこもっているみたいとか、パーマカルチャーをわがままな農業と言ってみたり、単に心の開放や個性の発揮や精神性の向上などのような考えに迎合するのではなく、お金はそもそも、物々交換の不便さを解消する手段として出てきたことや、コミュニティが始めた地域通貨が結局周辺に広がらずうまくいかなかったことなど、常識的な考えからの見方や、現実的な問題も含めて語られていて、理想的すぎて話しにならないという感じではなかった。(小説なので理想的だったり空想的だったりしてもいいのだろうけど)

林太郎とアユミは、二人とも離れた別々のところで、それまでの会社から給料を受け取り生活していく価値観から、自給自足など農業的な価値観を大切にするような方向に変わっていくが、
林太郎は技術者で(もともと風力発電など環境に関係していたが)、考えも理知的で論理的、妻のアユミは、より精神性が高い。・そのため、同じような価値観にいたる仮定での周囲とのやり取りの様子が異なり、単なるLOHAS思考の賛美に陥っていかない感じがして良かったと思う。(最終的にはシュタイナー教育やパーマカルチャー賛美の方向なのだけど)

この人の本は、これまで読んだものは、もっと詩的な感じがしていたけど、今回は精神性という点で目指す方向は詩的だけど、文章的にはいままでよりは固い感じがした。(読みにくいわけではなくて、これまでの詩的で情緒的な文章から、もう少ししっかりした描写をする文章という感じ)

基本的に技術者というか研究者で、会社で働いてそれなりに地位を作り金をもらうという生活にどうも気が乗らない私にとっては、かなり共感する部分の多い小説だった。

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