2009年3月2日月曜日

脳は美をいかに感じるか を読んだ。

セミール・ゼキ著、河内十郎 監訳脳は美をいかに感じるか―ピカソやモネが見た世界(2002.2発行)を読んだ。
脳と美術といった、どちらも興味を持っている分野を、脳の働きの観点から繋ぐ本のようなので読んでみようと思った。

内容としては、
全体は終章を含め22の章立てとなっていて、脳と美術の役割(1~10章)、受容野の美術(11~16章)、美術形式の神経科学的検証(17~21章)の3部に分かれた構成。
1部では、「美術の目的は脳機能の延長にある」という筆者の考えをもとに、脳の機能や美術の機能について、物の形や本質をいかに表現し理解するかというような観点から、それぞれの働きとその共通性を画家自身の言葉と、神経科学の知見とを交えながら述べられている。
2部では、特にモダンアートの特徴が、単一細胞の受容野の特徴と似ていることが述べられていて、神経科学的というか神経機構における選択性細胞(ここの細胞の受容野における傾きや方向など、特定の要素に選択的に反応する細胞)の役割や、抽象画やキネティックアートなどが、最小要素を目指したり、動作、色、傾きなどといった、視覚に関わる要素のうち特定のものを抽出していて、選択性細胞の機能や脳の特定部位を活性化させることなどが述べられている。
3部では、美術の形式に対応して、肖像画と脳における顔の知覚や認識についてや、色彩の生理学と色彩の解放を目指したフォービスムとの脳機能から見た対応関係、抽象画と具象画で異なる脳の活性部位、さらに、モネの色彩感覚について脳機能から考えられることなどが書かれている。

優れた美術は多様な人の心を動かすもので、それは人の心理構造に関わる根本的な何かをとらえたものだから、心の動きは神経科学的機構に依存していて、美術と神経科学が関係することや、
脳機能、特に視覚の脳機能は「この世界についての知識を得るためのもの」であり、脳の機能は物体の真実の姿を表現することにあって、これは、画家自身が本質を捉えようという態度と共通のもの、といった観点が、「美術の目的は脳機能の延長にある」という作者の考えにつながるよう。

本質を取り出すといった恒常性の追求は、色や形に限らず、物体間の関係、顔や状況、正義や名誉、愛国主義といったより抽象的な概念にも適用できると考え、共通する特徴を抽出するものが美術の特質であるという捉え方を元に、脳機能との対応などが語られている。
単に概念的な話にとどまらず、特徴を抽出する基となる選択性細胞の存在や、
物体を見ることが近年、見る部位と理解する部位があるのではなく、見ることと理解することは切り離せない一方で、色や形など要素ごとに独立して脳で処理され、独立した小さい意識ともいうものが集まって、物や外界を意識的に認識することといった、
神経生理学的な見解も踏まえて述べられていて、説得力のある内容だと思う。

説明の難しいテーマのように思い、意味が良くわからない部分も時々あるものの、全体として記述は丁寧でわかりやすく、見ることと理解することが別個ではない一方で、要素ごとに見て理解する機能が分かれていること、そのような機能の分化とモダンアートの目指したものとが脳を考慮していないにもかかわらずとても似ている関係にあることなど、興味深く読むことができた。特に、紫外線のアートがないように、脳で認識できないものは美術としても存在しえないことは、当たり前のようで、美的体験も脳で認識するということを改めて明確にされ田感じがしたし、フェルメールの絵のような具象画についても、その表情や情景が同等の有効性を持つ多数の状況に当てはまり、状況の恒常性を抽出しているといった観点は、考えたことのない視点だった。
また、肖像画と顔認識や、色彩の部分で得られている波長自身より、周囲の光源を差し引く機能とフォービスムの色彩に対する考えなど、脳機能との対応の不思議さを改めて考えさせられた。

科学的な正確さという点では、サンプル数や実験方法など不明な点も多いが、
美的体験も脳内で処理されて生じていることであり、情動や情感まではまだまだ踏み込めないものの、視覚的な体験が対応する脳機能に応じて、分化したアートがあり、美術は外界の情報を得るために本質的なものの抽出するという脳機能の延長という考えは興味深く、読む価値の高い本だと思った。

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