2009年2月10日火曜日

すばらしい新世界を読んだ。

池澤夏樹著、すばらしい新世界 (中公文庫)(2000.9発行)を読んだ。


このところ読んでいる、池澤夏樹さんの本。先日読んだ「光の指で触れよ」でも触れられていた、主人公たちの数年前の物語ということで、読んでみた。

内容は、1999年から1年間読売新聞に連載された小説で、風力発電の技術者である主人公、林太郎が、環境関連のボランティア組織で働く妻アユミの知り合いからの頼みをきっかけに、ヒマラヤにある村に灌漑用電力をまかなうための小型風力発電を設置し、現地の精霊に引き止められ、小学生の息子が迎えにきて、最後には知り合ったチベット人から頼まれたことなどをして帰ってくるという話。

長編小説で、最後の1/3くらいで、精霊に引き止められて家族が迎えに来ないと帰れなくなってしまったり、埋蔵経を運ぶことになったりと、話が急展開するところは不自然な感じだし、小説としても中途半端な感じもした。連載物をまとめたからとも思うけど。

作家が主人公を創造して、物語をつむぎだすという作家の独白とも言える部分や、主人公同士がやりとりするメールを通して、主人公たちの考えなどが描かれる場面があり、小説とはい え、少し離れた位置から、現在の先進国と呼ばれる日本の現状や、チベットの小さな国の人々の考え、それらに対する著者?の考えが語られている感じ。

いまでこそ、金融危機でアメリカ型というか市場原理とグローバル主義が反省されはじめているように思うけど、この本が書かれた99から2000年はグローバル化が伸展し、疑問に思うことが、なんとなく時代に取り残された古臭いものとされてしまいがちだったように思う。
ブータンのような、住む人の幸せを目指すのがいいことだとは思うけど、田舎暮らしがいいと思うような感覚で、チベットなど自然とともに生きるのがいいと思ってしまうが、ことはそう簡単じゃないだろうし、自然の中で生きるのは、ときとして猛威にさらされたり、予期せぬことや不条理なことに巻き込まれることでもあるから、それを制御している今の便利さや快適さはなかなか捨てられない。でも、今の先進国というか、日本のどことなく不安感につつまれ、便利だけどなんか幸せを感じられない環境も、もともとは快適な生活など幸せを求めた結果なのに、なぜ、こんな閉塞感につつまれた感じがするのだろうとか、そんなことを考えてしまう物語だった。

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