2009年2月12日木曜日

スルメを見てイカがわかるか!を読んだ。

養老孟司、茂木健一郎、著スルメを見てイカがわかるか! (角川oneテーマ21)(2003.12発行)を読んだ。
このところ、脳や心関係に興味があるので、養老さんと茂木さんの脳とか意識とかに関係した話のようなので、読むことにした。

構成は、おわりにに書かれていたが、養老さんの講演と、茂木さんと養老さんの2回の対談、茂木さんの書き下ろしからなっているそうで、章立てとしては、1章が養老さんの話で、2,3,4章が対談、5章が茂木さんの書き下ろし。
1章では、心や意識、言葉と脳での認識、言葉や情報はその瞬間で停止したもの(タイトルにある、停止したスルメを見てイカのことがわかるのかということに関係)、個性やアイデンティティと強制了解性などの話がされ、そのはなしを受けた感じで、
2章では、意識の働きを言葉の理解や、同一性、強制了解性や、社会や世代間のコミュニケーションに絡めた話を、3章ではイデオロギーや原理主義と都市化や経済成長ということに関して、4章では人間自身も自然の一部として「手入れ」される自然といった思想と、人工と自然を対比アメリカ的な思想の対比や文明のことについて、対談が行われ。
5章では、脳も自然も完全にコントロールするのは本来無理で、あるがままに受け止める必要もあり、手入れという適度であいまいな調整がいいというような話。

この本を読んで、
オリジナルとか個性も他人と共感されない限りそれは排除の対象となることや、
言葉の意味するものの同一性について、本来、他人とまったく同じかわからないというか異なっているはずだのに、共通だという幻想であいまいなまま成り立っていることについて、
考えたり、
共通了解に基づいて強制了解性をもってしまうことや、
楽になろうとすることが、合理化や進歩を生み出しているように思えるけど、その一方で、本来不合理で不確定なものを排除することで都市化が進み、閉塞感が生まれてきているようにも思ったり、
エピソード記憶から意味記憶へ変わっていく仮定そのものも含めて、意識は言語として意識されるし、
脳内の現象だけど、脳だけにとどまらず、環境との関係性なども含めて、無意識レベルの動きも含めて意識ともいえると思ったり、
と、そんなことを考えさせられる本だった。

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