2009年2月16日月曜日

暴走する脳科学を読んだ

河野哲也著暴走する脳科学 (光文社新書)(2008.11発行)を読んだ。
副題に、哲学・倫理学からの批判的検討、とあり、脳科学者ではない哲学者の立場からの検討ということで、そういった違う立場の人のものも読んでみることにした。

内容としては、
哲学は、一般市民が非専門家の立場から、既存の知識や常識に対して正しいのか、役立つのかを問いかける作業、
ということで、問いかけと、それに対する筆者の立場を表明した内容で、6章構成。
1章は続く章の予告も含めたこの本の内容の紹介ともいえ、
脳科学の進展とそれに関連して生じる、脳科学が心の解明につながるのか?、心と脳が同じなのか?、脳を調べ心の状態を読めるのか?、脳のメカニズムと自由意志の関係は?、社会的インパクトや倫理的問題は?といった疑問に答えるものとして、脳科学の応用を含めた最近の進展や社会的状況、リテラシー教育や倫理的問題に触れている。
2章は脳と心の関係について、これまでの考えや、近年注目され普及しつつある、身体性や環境も考慮した「拡張した心」の概念について説明され、3章ではマインドリーディングといった心を読む技術を、4章では心は本質的に社会的であり、研究のための分類が社会的影響を受けること、脳は可塑的で社会的環境に適応する臓器であることを、5章では意識をする前に無意識の活動が先行するというリベットの実験結果が巻き起こした、自由意志の可否から、意志や意図、意思決定などについて、6章では脳科学研究の社会への影響性と倫理性の議論の必要性について、著者の立場からの見解を交え語られている。

拡張した心の概念は、最近の脳科学でも環境との相互作用が言われたり、そもそも外界と自分の境界がどこかなどの議論も聞いたことがあり、より正しく脳や心の機能を捉えるうえでいい概念だとは思った。しかし、そのように広げることで研究が難しくなるだろうから、このような概念からどのように研究の方向性が変わったり知見を得られるのかが気になった。

また、心的機能の分類(ラベリング)が社会的環境に影響されることや、意図的な行為とはなにかとか、意図的行為に決意は不可欠ではなく時間的にも空間的にも幅をもって動機付けられることなどは、とても興味深かった。
意識や意志、意図、決意の瞬間、など、用語が丁寧に使い分けされていて、論理的に話が進められているが、読む私のほうが明確に分け切れていないため、読んでいる間は納得感があるものの、自由意志などの議論について理解しきれない部分も多かった。

ただ、心と意志の問題については、内省的な観点からの議論のようには思えるけど、哲学的な議論のほうが、用語の定義や、意志決定とはなにかなどについての考察が深く、むしろ技術者や科学者のほうが、研究対象自身については詳しいものの、それらの結果からの考察については、用語も感覚的に使用している面が多く、両者の議論の重要性をあらためて思った。

他に、倫理的な検討は必要だと思うし、科学技術リテラシーに関して、関係者がみずから積極的に忠告や示唆を与え、相互に批判もし、一般の注意を喚起する ようにすべきというのもその通りだとは思う。しかし、自分も理系の研究者としてやってきて、無責任かもしれないが、研究者はやはり内容そのものに興味が あって、研究内容やその影響について隠すつもりはなく、むしろ聞かれれば喜んで情報は開示するものの、自ら積極的に相互批判や倫理的検討をするというの は、煩雑な事務処理がどうしても増えてしまうことが予測され、研究することそのもののモチベーションがそがれてしまったり、形だけになってしまいがちなの で、難しいところだと思った。

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