2008年7月28日月曜日

セルフ・エデュケーション時代

(別のサイトと同じ内容)
アート・リテラシー入門に引き続いて、といっても、こちらのほうが先に出版されているが、アートの批評や鑑賞を単なる受動的なものではなく、能動的で参加型のプロジェクトとしてみなすような流れと同様の方向性を持つ、セルフ・エデュケーション時代という本を読んだ。
practica〈1〉セルフ・エデュケーション時代 (プラクティカ (1))

フィルムアート社

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セルフ・エデュケーション、日本語に訳すと、自己教育、自己学習といったところか。タイトルからは、自分で教育していく時代という意味に思い、自分を律することが必要な時代であることとか、そのための方法などととれるが、この本は主としてアートの側面において、(アートそれ自体境界があいまいになってきているため、様々な分野に広がり、その分野に制限を設けてはいないが)、様々なマイノリティ参加型やコラボレーションプロジェクトを例に、個人が関わり試行錯誤するプロセスそのものをアートであり創造的行為としてとらえ、参加、あるいは行動することで、アートなどを捉える上で、単なる知識の積み上げではなく、全身の感覚や体全体で他との関係性も含めて把握あるいは巻き込まれることで、自分なりの表現、批評すること(それ自身が創造的な作品でありそのような学びや創造)をセルフ・エデュケーションとしているようである。

内容は、子供や障害者などのマイノリティから、地域参加、あるいは地域に関連したプロジェクト、教えるー教えられるといった関係ではないフラットな学びの場に関する議論や、知識の伝達ではなく、身体的、感覚的な行為も含めたもっとダイナミックで創造的な作業として、デザインやアートの教育を捉えるような立場など、様々な例や議論が紹介されている。
全体として、脱芸術、脱資本主義、脱権威、他者との関わりとプロセスそのものを創造的行為としてとらえ、学びの場とするといったことが議論されている。ただし、独善的になってしまわないような自己批判のようなことも書かれていて、ともかく、価値観を固定することなく、いろいろな枠をはずすと共に、他者を認めていくということの重要性を説いているように思う。

最近、突然無差別に刺すような事件が多く、そのようなことが社会背景から語られることも多いが、犯罪に走らない人もいるわけで、きわめて直情的な理由でいきなり犯罪に走るのは創造力の欠如と思えて、アートを通じたセルフ・エデュケーションは、他者との関係性を新たにしたり、想像力を養うことで、よりよい社会につながるのではないかと思ったりで、内容そのものが、広範囲にわたるため、用語的にも理解が難しい面もあるが、いろいろと考えるきっかけとなる話が多く、さらっと読み流せず、読むのに時間がかかった。

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