2008年8月9日土曜日

対決 巨匠たちの日本美術展(別サイトに記録したものと同じ)

先月から行く機会をどうも逃していた、対決 巨匠たちの日本美術展を昨日見に行ってきた。朝から陽射しも強くて、夏休みに入っている人も多く、ものすごい人で入場待ちとかするようだったらどうしようとか思っていたけど、人が多く混んではいたものの、入るまでに並んで待つようなこともなく、薬師寺展のときに比べると楽に入ることができたのでよかった。

展示内容は、ネットやチラシなどにあるように、日本美術史の中で巨匠と呼ぶにふさわしい中世から近代までの芸術家を、関係性に着目して二人ずつ対決させる形で展示されていて、創作に直接関係はないが同じような背景や作品に類似性あるいは対照性をもつもの、一方が他方を参考にした関係や師弟関係、実際のライバル同士、など、関係性もさまざまであるものの、日本美術を語るうえで比較対照されるような作家同士あるいは作品同士が並べられ、本物を比較して見ることのできる貴重な機会と思う。作品も仏像から、水墨や濃彩の掛け軸、屏風絵や襖絵、陶器、浮世絵、さらに日本画と、日本の芸術作品史ともいえる内容で、ちょっと教育的過ぎる感じがするけど、一同にすぐれた名品を見ることができる。ただ、範囲が広い分、解説もわからない用語がいくつかあり、見方がわからないというか、どこがいいのかがよくわからないというか、あまり興味のない分野もあり、個人的には浮世絵はどうも良さがわからないし、水墨画も詳しくないので、違いがあまりよくわからない。見ている人のなかからも陶芸のところでは、「わからない」とかっていう声が聞こえていた(よくあることだし、一方では、見事だとかすばらしいとか言うような声も聞こえていたけど、、、)。

個々の作品については、快慶の均整がとれ衣にも模様がついていて、端整で細やかな仏像、狩野永徳のうねるような檜図屏風絵、野々村仁清の細かくそれでいて絢爛な感じの色絵茶壷、若冲の鮮やかな色彩と精密な鳳凰画に蕭白のごてごてして、おどろおどろしい感じさえしながら、丸い目の竜のような生き物や仙人のどこか可笑しげな群仙図、応挙や芦雪の飛び出してきそうな、また、迫力のある虎画、鉄斎や大観の富士、など、見るものに強く訴える作品が多く、見終わっても印象に残っているものが多数あった。長谷川等伯の松林図屏風が展示期間を過ぎていたのと、俵屋宗達と尾形光琳の風塵雷神図が11日からの展示で見られなかったのが残念だった。

今年に入ってから、日本美術に触れる機会を多くとったので、だんだんと、日本美術の魅力を感じるようになってきたこともあり、今回の展示は、国宝級のすぐれた名品も集められていて、なかなか興味深くみることができた。

また、この展示をみて、日本の芸術は中国の水墨画などを基本に始まったのだと思うけど、色の濃淡で描く水墨画は、当たり前だけど、塗り残すことで明るい部分を描くわけで、色を塗り重ねて描いていくのとは異なるし、見たものや創造の産物を視覚的にそのまま正確に表現するのではなく、空気感を感じさせるぼんやりとした表現と精密な描写の同居、太い描線で力強く単純化した描写など、見るものあるいは見たものの印象を強めるためとも思われる抽象的な構成などもある。
西洋では教会などを飾る宗教画が絵画として独立し発展していったようだけど、基本的には、印象派がでてくるころまでは、視覚的にリアルに描くことが重視されていたのに比べると、日本では単に見た目だけでなく想像力や感性を必要とする作品が、たまたまプリミティブアートのような形で受け継がれていたのではなく、西洋で抽象芸術がでてくるよりもずっと前から、いろいろな表現が試され、時代を超えて受け継がれるようなものとして認められて今日まで残っていることを思うと、日本文化の奥行きの深さを感じ、いろいろなものの見方の基準が西洋の基準にのっとってしまっていて、絵画や美術も西洋美術を中心に絵の位置づけや、良し悪し、印象を語ってしまいがちで、それ以外は亜流や傍流になってしまっている現状などを考えさせられる展示だった。

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